NHK Eテレで2025年3月に放送された『びじゅチューン!』特番収録のためフランス国立クリュニー中世美術館を訪れた井上さんと『貴婦人でごめユニコーン』のモチーフとなったタペストリー「貴婦人と一角獣」

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6人目のゲストは、歌とアニメーションで世界の美術作品を紹介するNHK Eテレの人気番組『びじゅチューン!』を手がける、アーティストの井上 涼さん。2025年8月6日(水)に、Afternoon Tea LIVINGとの初コラボレーション・コレクションが発売されるのを記念しての登場です。誰もが知る古今東西の有名作品をモチーフに、ポップな絵柄・奇想天外な歌詞・忘れられないメロディーを駆使して大胆にアニメーション化した作品が、世代や性別を問わず多くのファンの心をとらえています。第3回目は『びじゅチューン!』制作の舞台裏に迫ります。モチーフとなる作品の選定や分析手法など、井上さん流の美術作品との向き合いかたについて詳しく語っていただきました。

アニメ制作が大変でも、
視聴者が喜ぶ未来が描けるか!?
モチーフとなる美術作品の
選定基準とは

『びじゅチューン!』のモデルとなる美術作品の選定は、井上さんと、番組プロデューサー・倉森京子さんのふたりで相談しながら行います。日本の絵画・世界の絵画・立体物(彫刻や建造物、歴史的遺産など)の3ジャンルから、小中学校の教科書で紹介されているような、誰もが知る著名な作品を選ぶことが多いそう。アニメーション化におけるすべての制作プロセスをたったひとりで手がける井上さんにとっては、どれを選んでも膨大な作業が待ち構えていますが、最終的な選定基準は、視聴者が喜ぶ未来図が自身でイメージできるかどうかにあるといいます。

パートナーを伴って、奇妙な乗り物や全裸の人々がイキイキと暮らす地元へ帰省する女性のドキドキする心境を描いた『地元が快楽の園』(モチーフ:ヒエロニムス・ボス『快楽の園』/スペイン・プラド美術館蔵) ©NHK•井上涼

「すごく大変な思いをしてまでアニメにしたいかどうかを考えます。たとえば『地元が快楽の園』(モチーフ:ヒエロニムス・ボス「快楽の園」/スペイン・プラド美術館蔵)という作品のモデルとなった三連祭壇画『快楽の園』には、裸の人々が大勢うじゃうじゃと描かれています。群衆を動かすアニメを描くのは非常に手間がかかる作業ですし、私はヌードを描くのが苦手なので迷ったのですが、私のアニメをきっかけに、視聴者が『快楽の園』のコンセプトや独特の世界観に興味を持ち、おもしろがってくれたら、将来的にもみんなのためになるかも!?……とイメージできたので、挑戦してみようと思い至りました。実際、制作はとても時間がかかりましたが、視聴者にもたらす影響を私自身が前向きにイメージすることができたら、苦労してでもどうにかして完成させるのが私の仕事です

そんな井上さんのもとには、視聴者やSNSのフォロワーから「こんな作品を扱ってほしい」というリクエストが日々数多く届くそう。しかし井上さんは、自分自身がやりたいかどうかのモチベーションに加え、モチーフとなる作品を手がけた作者や、多様なバックグラウンドを持つ幅広い年齢層の視聴者など、作品にまつわるさまざまな人々の心情に想いを馳せながら慎重に見極めます。

「たとえば、自分の子に殺されるという予言に恐れを抱き、実子を次々に飲みこんでいったというギリシャ神話の伝承をモチーフにした『我が子を食らうサトゥルヌス』(フランシスコ・デ・ゴヤ/スペイン・プラド美術館蔵)は『番組で取り上げないのか?』とよく聞かれるのですが、扱えません。きっと『子どものファンも多い井上が、この怖い絵を一体どのような切り口で紹介するのか見てみたい』という純粋な興味からリクエストされるのだと思うんです。でも、たとえば“子どもをパンに変えて食べちゃう人”という歌にしたところで、ゴヤの絵の大切なテーマを損なう可能性があるため、やりたくありません。ほかの人の作品を扱うのはとても難しいので、作者の意図を尊重しながら慎重に行わなければなりません。『びじゅチューン!』では、作品の大事なところを活かし、いかにおもしろく表現できるかをいちばん大切にしています

絵画は端、立体物は大きさ。
ユニークな視点が唯一無二の作風に直結

美大で学び、広告代理店でアートディレクターを務めていた井上さんは、アーティストとしての技術や知見をしっかり持っている人。『びじゅチューン!』の作品群には、自ら絵を描き造形できる彼だからこそ可能な豊かな表現力に加え、普通では気づき得ないような斬新な切り口を見出す独自の視点が存分に発揮されています。

NHK Eテレで2024年3月に放送された特番『びじゅチューン! 的パリの旅』の「ルーブル美術館 モナ・リザさんに会いに行く」「町めぐり 美術ありすぎごめユニコーン」では、井上さん流の美術鑑賞スタイルがうかがえた ©NHK•井上涼

「ほかの人と比べて自分がズレているつもりはないのですが、確かにちょっと違う視点で美術作品を見ているかもしれません。絵画だったら、画面の”端”に着目します。画家は画面の端をすごく意識して絵を描くものなので、画面の四辺や隅の処理のしかたに、性格や描いていた時の状況が見えてくるんです。たとえば、筆の勢いがゆるんでフニャッとなってしまう絵があったり、逆に端をまったく気にせず大胆に筆を走らせた絵があったり……作品に対する作者の姿勢がつぶさにうかがえる絵の端は、私にとって作品分析における最重要ポイントです」

『姫路城と初デート』(モチーフ:姫路城/兵庫県姫路市)。“白鷺城”の愛称で親しまれる美しい城でありながら、外敵を寄せつけないためのさまざまなギミックが施された“武”の面に着目し、ガードの堅いツンデレ女子のストーリーに ©NHK•井上涼

「建築物や彫刻を見る場合は、自分に対する“大きさ”を感じます。『写真ではわからなかったけれど、実際はこんなに大きいんだ!』とか『こんなふうに空間を使って建てられているんだ!』と感じながら見るようにしています。三次元でのリアルな形や存在感をわかっておくと、二次元のアニメーションにした時に、表現しきれないものを見極められるんです。私のアニメは単純化する表現なので、立体から平面にすることで省かざるを得ない要素がたくさん出てきます。とはいえ『びじゅチューン!』にはモデルの作品を紹介するという目的があるので、元の作品が持つ情報をできるだけたくさんのせたい。なので、シンプルな絵では表現できない要素は、たとえばキャラクター設定・ストーリー・歌詞・メロディ・編曲といったほかのところで補えないか、試行錯誤します。“できないこと”の見極めが、私の作品に大きく影響しています」

次回、7月30日(水)に公開予定の連載第4回目は、アニメーション『びじゅチューン!』独自の世界観を構築する
屋台骨ともいえる楽曲制作の舞台裏について深堀りします。お楽しみに!

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