『AFTERNOON TEA JOURNAL』は、心の贅沢を愉しむ方々をゲストにお招きし、生活をちょっと豊かにするアイデアやインスピレーションをお届けするライフスタイルメディアです。
4人目のゲストは、昨年Afternoon Tea LIVINGとの初コラボレーションを果たした、ロンドンを拠点に活動するスイーツアーティストのKUNIKAさん。競泳選手を目指して水泳に明け暮れた少女時代から一転、パティシエを志して進学し、一流ホテルやヴィンテージショップに勤務。スイーツアーティストとして独立し、人気を博したのち渡英。現地でのパティシエ業やコロナ禍下での結婚・出産を経て、現在は子育てをしながら創作活動に勤しむ彼女の激動の人生を全8回にわたってお届け。第1回目は、KUNIKAさんのクリエイティブの基礎が築かれるまでの軌跡をたどります。
スイーツアーティストとして活動するKUNIKAさんの主力作品はアイシングクッキー。緻密で精巧な造作で表現されたあまりに可愛らしく色あざやかな世界観を持つ作品群を目にした瞬間、それが“お菓子”であることを誰もが忘れ、言葉を失ってしばし魅入ってしまうほど。一流ホテルやレストランで経験を積んできたパティシエとしての知識と技術をしっかりと備えているからこそなせるわざです。
「将来の職業としてパティシエを意識したのは中1の時。職場体験で街のケーキ屋さんに行き、ホールのいちごショートケーキを生地から作らせてもらったんです。家族へのお土産にと持って帰ったケーキの箱を開けた瞬間、母と祖母が『わあっ!』と歓声をあげながら喜ぶ様子を見て、自分が作ったもので誰かを笑顔にできることがたまらなくうれしいと感じたのが、進路を決める原体験となりました」
お菓子づくりのプロを目指す前のKUNIKAさんは、小2から中3まで競泳のジュニア選手でした。多くのオリンピック日本代表選手を輩出する強豪スイミングクラブに所属し、背泳ぎと個人メドレーを得意として、0.01秒を縮めるため、休むことなくつらい練習に全身全霊をかける毎日。中2の時に全国大会で3位に入賞するまでに成長します。
「でも、自分より速い選手はたくさんいることや、水泳が職業にならないことに気がつき、自分のタイムにも限界を感じ始めて、中3でリタイアしました。真剣にやりきったからこそ悔いはなかったし、粘り強く取り組むことの大切さ・集中力を継続させるコツ・自分自身の努力が結果を左右することなど、競技生活で学んだことは、その後の人生に十分生かされていると実感しています」
高校卒業後、日本菓子専門学校(日菓専)へ進学してお菓子づくりの基礎をみっちり学んだKUNIKAさん。就職先として、得意なウェディングケーキの装飾などを手がけられる一流ホテルのペストリー部門を狙いますが、もともと新入社員の受け入れ枠が少ない狭き門なのと、当時の日菓専が、就職に必須である在学生の企業研修(インターン)許可を出していなかったことが重なって右往左往。困り果てたKUNIKAさんに手を差し伸べてくれたのが、当時マンダリンオリエンタル東京・ペストリー部門のトップシェフだった五十嵐 宏さん(現『パティスリー ラ・ローズ・ジャポネ』オーナーパティシエ)でした。
「『怪我しないんだったらいいですよ』と、私を研修生として受け入れてくださったんです。面接の時、シェフの3人のお子さんも競泳のジュニア選手であることがわかり『君もきっと根性があるね』とおっしゃってくださいました。夏休みやクリスマスなど繫忙期を中心に研修に入らせていただくうちに、厳しくも明るい五十嵐シェフのもとで修行したいという思いがどんどん強くなっていきました」
しかし、KUNIKAさんが日菓専を卒業するタイミングで、マンダリンオリエンタル東京の新卒採用枠はありませんでした。「いつになるかわからないが、空きが出たら連絡する」という五十嵐さんの言葉を信じ、卒業後はフリーターをしながら入社の機会を待つことを決意します。
「待機期間を無駄にしないよう、アルバイトを4つほどかけ持ちしながら、自動車運転免許を取得したり、高校の時から愛読しているファッション雑誌の読者モデルらが運営するヴィンテージショップに通ってアクセサリーづくりのお手伝いをしたりと、朝から晩まで連日スケジュールぎゅうぎゅうに詰め込んでいました。今思えば、不安や焦りを感じる暇を自分に与えないようにしていたのだと思います」
そんなKUNIKAさんに待望の吉報が届いたのが、日菓専卒業から約4カ月後。晴れて念願のマンダリンオリエンタル東京のペストリー部門に就職し、憧れの五十嵐シェフのもとで、パティシエとしての厳しい修行の日々が始まります。
「地下3階を丸ごと占めるセントラルキッチンが私の修行場。学生あがりで下っ端の私にできることは率先してなんでもやりました。2年目からは徐々に仕込みやウェディングケーキの仕上げを任せていただけるようになり、いちばん好きだった仕事がデザートプレートに施す装飾。特に、バースデーケーキにのせる“Happy Birthday”といったプレートづくりが得意で、チョコペンで描くメッセージや模様のできばえを先輩シェフから褒めていただいたり、お客さまからご指名いただいたりすることも。
直径5㎝ほどのごく小さなキャンバスに、感性のままお花や蝶を描くのが楽しく、新人の自分でも、得意なことに全力で取り組めばきっと誰かに喜んでもらえるのだと、とてもやりがいを感じました」
おしゃれが大好きなKUNIKAさん。プライベートでは、ヴィンテージショップ通いや自身のアクセサリーブランド立ち上げに励むほか、新しい趣味としてダイビングを始めたりと充実した日々を送っていましたが、就職して丸2年が経った23歳の時に転機が訪れます。師匠と仰いできた五十嵐シェフが独立のためマンダリンを退職することとなり、自身も環境を変えてみようと思い立つのです。
「もともと『自分が作ったお菓子で喜ぶお客さまの笑顔を見ながら働きたい』と選んだ菓子職人の道。マンダリンは素晴らしい職場環境でしたが、キッチンと店頭が離れているホテルのペストリーでは、お客さまと交流する機会はなく、少し残念に思っていました。『もっとお客さまのそばにいたい』『自分にしかできないことを追求したい』と強く願うようになり退職。ダイビングでしばしば訪れていた沖縄や離島の環境が気に入って、3カ月ほど石垣島で暮らしました」
石垣島の美しい海や大自然を愛しみながら“人生の夏休み”を過ごしたKUNIKAさん。ダイビングで目にする神秘的な海の世界に大いにインスパイアされ「自分にしかできないものづくりで、もっと多くの人を幸せにしたい!」という大望を抱いて帰京。パティシエ時代の余暇を過ごした憧れのヴィンテージショップに所属し、スタッフとして働きながら、パティシエ時代に鍛えたお菓子づくりの技術と独自のセンスを駆使してアーティストとしての頭角を現すまで、さほど時間はかかりませんでした。
次回、3月19日(水)に公開する連載第2回目は、
帰京してから唯一無二のスイーツアーティストとして覚醒し、
無双の大活躍で名を馳せるまでの
怒涛のプロセスをお届け。
同日にはスペシャルなお知らせもあるので
ぜひお楽しみに!